木札の百人一首
北海道冬の旅、それも正月だった。当時北海道均一周遊券というものがあった。通用期間が14日間。特急以外の自由席ならどの列車でも乗ることができた。 札幌から函館、稚内、網走、根室などへは夜行列車が走っていた。この夜行列車を使えば、寒空に宿代を使わず、かつ長距離移動できるという学生にとってあり がたい切符だった。 利尻島へ行ったのも、これを使い稚内まで行き船で渡った。当時、冬の利尻などに来る観光客は珍しく、利尻神社の社務所YHの客は北大の学生と私の2名だ けだった。することもなく何気なく雑貨屋を覗いた時に出会ったのがこの木札の百人一首だった。変体仮名で読めないのが気に入った。読み札は安物の紙ででき ていた。決して上等なカルタとはいえないが、その背景の北海道、しかも開拓時代の冬の北海道を想像してしまった。 北の僻地でも文化への希求はある。木と墨があれば百人一首は作れる。発端はそうだったかもしれない。しかも、冬の遊びだから大人も子供も興じただろう。 この独特の変体仮名は明治期に、それとも大正期に固定されたのだろうか。「む」が「ん」となっているのはもちろんのこと、「ひ」と「へ」の混用もあるよう だ。ここに、郷土玩具を感じた。 しかし、我が金沢の旗源平などとはエネルギーがちがう。子供の時間つぶしのおもちゃではないのだ。遠くからでも札がよく識別できるように書かれているの で、大人も子供も体全体で興じることができる。北の僻地にあって日本人の心を忘れないというすごいエネルギー、紙が出回っていた時代でさえ、この木札のカ ルタが残っていたというのは、開拓時代の北海道の心が生きているような気がした。いまでも、雑貨屋に売っているのだろうか・・・・・・・