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追分



 江戸から鈴鹿峠を越え草津へ・・・・・東海道のルートである。
さらに、草津で中仙道を合わせ大津を過ぎ最後の逢坂の峠を越えると京はもうすぐである。

 琵琶湖からの水の出口は瀬田川から宇治川・淀川と名を変えて大阪湾に注ぐ川だけである。よってこの辺りにある川は@京都側に流れるか、それともA琵琶湖 側に流れるかのどちらかである。京都府と滋賀県の府県境にある山々はこの小規模な分水嶺上の山ということになる。比良山、比叡山、音羽山、醍醐山、そして 逢坂の峠もそうである。
 もちろん逢坂峠から始まる2つの谷も、北側の谷へは大津を経て琵琶湖へ注ぎ、南側の谷は山科・醍醐を経て、宇治で宇治川と合流する。

 大津から逢坂の峠を越え、しばらく狭い谷がつづく。現在でもこの狭い谷に、名神高速、国道1号線、京阪電車が沿うように走っている。鉄道と道路以外はほ とんど余地がない。それでも旧東海道の名残か、家が建っている。追分はその狭い谷が山科の盆地で広くなる基部にある。京と奈良という2つの都に分かれる東 海道と奈良街道の分岐点でもある。

 盆地へ西に下れば京都、南に下れば奈良へ行くことができる。全国に追分と呼ばれる場所がたくさんあるが、そこはだいたい街道の分岐点である。

追分へ行くには京阪電車の追分駅から行くのが楽だろうと思って、追分という駅を検索する。分水嶺の京都側にあるのだから、当然のように「追分(京都府)」 を探したのだがないではないか。「追分(滋賀県)」ならある。滋賀県の追分はどこかなと思って調べると、なんと京都府だと思っていたのが滋賀県の追分駅 だったのだ。分水嶺である逢坂の峠が府県境でなく、峠を下ったところまでが滋賀県なのだ。まるでかっての中仙道の馬込宿みたいなものだ。

 しかも、行ってみてもっとおもしろいことがわかった。府県境は山とか川が境になることは良くあるが、ここでは東海道という街道自身が境界なのだ。道路をはさんで、京都府と滋賀県が対峙している。なんとも不思議な地域である。


 実際に歩いたのは、山科の音羽から奈良街道を経て追分へ、追分から旧東海道を経 て山科の旧三条通り四ノ宮に行き、そこで南に折れ、渋谷街道に出てから北上し音羽にもどった。これでは土地鑑がないとわかり難いので、写真では旧三条通り から旧東海道を逢坂の峠へ北上するように並べた。

 高速道路や国道1号線が近くに走っているにもかかわらず、静かで昔のたたずまいが良く残っていた。車両の数もそう多くなく、道路の中央で写真を撮ること もできた。気温も如月とは思えないような暖かさ、五月を思わせるような実に快適な散歩であった。如月の太陽、誰もが待ち焦がれる存在である。




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