白山市

湯田中

志賀高原

滝の湯

終わりに

Top





信州に遊ぶ 5月


 自分の愚かさを知っているもの、また、それを許してくれているもの。それは家族と友人である。それゆえそのような人たちと一緒に旅に出かけても心地良い余韻にひたることができる。そのような旅ができるというのも一種の財産というべきであろう。

 「玉鉾会」、カマボコの同業組合でもない。もちろん京都の祇園祭りとも関係がない。かっては、「玉鉾一家」と称したこともあるが、実にいい加減な集まりであったような気がする。毎日、弁当を食べるときのみ、ある一室に集合し、弁当を食い終えると解散していた。
 親分は蚊の専門家らしく、宿屋に泊まるときは酒を喰らい窓を開け蚊を部屋に入れるという習性があった。よって、へんてこな連中が集まってきた。一応、生 物を趣味とすることであったが、馬術が生物に関するからは入れとか、机が偶然に近くにあったから誘われたとか、友人の友人とか、ま、生物の好き嫌いとは関 係なしに参加した者もいる。いや、どちらかというとそちらの方が多い。
 ただし、年一回だけ非常に忙しい期間があった。親分が帰った後も夜遅くまで居残っていたくらいだから、よほど日頃何もやっていなかったがわかる。ネズミ を買ってきて芸を短期間のうちに覚えさせる。イカから発光微生物を取り出し培養する。そのうち過酷な芸の仕込みでネズミは死ぬわ、発光微生物培養が失敗、 イカも腐ってくるわ等々でどんなに慌てたことか・・・・・・


 今年の旅は、信州・湯田中温泉泊、翌日に志賀高原で遊ぶというものであった。ならば、白山市の友人宅に泊めてもらい、鬼無里経由で湯田中に行くことになった。
 あれは実にうまい刺身、が、食べても食べても全然減らない感じ、ゆうに15人分はあったのではないかと思われるような豪勢なご馳走だった。元来、寿司が 好きなもので地元の魚での手巻き寿司、大満足。フキの炊いたのもうまかったし、友人の加賀レンコンの酢漬けなるもの、最初は食べなれないピリカラ味で ちょっと敬遠気味だったが、唐辛子をのけると実にうまい。元来、酢れんこんが好きなもので、遠慮なくお代わりをしてしまった。
 翌日は辺地・鬼無里経由だから、早朝の出発というのに、深夜までカラオケをしたりおしゃべりに興じたり、友人夫妻のあたたかみというか、人の良さを感じ てしまった。あんまり居心地がいいので、幹事には悪いが志賀高原に行かなくてもいいような気にすらなった。食いきれていない刺身もまだたくさんあることだ し・・・・

 鬼無里、今年の春に訪れた場所である。長野からオリンピック道路で白馬に抜けた。当然その途中に鬼無里があると思っていた。しかし、道路はしっかりと鬼 無里を迂回していた。故に鬼無里は取り残された里である。こんな辺境地なら蕎麦がますますうまかろう・・・・ということで蕎麦を食べに寄ろうとわざわざ向 かったのだ。が、3月ではまだ雪が積もっている時期、かつ午後のこと、蕎麦屋はことごとく閉まっていた。
 村人の紹介で、あそこなら開いているだろうといわれたのが「お焼き」の店、それが意外にうまかったのだ。今回の鬼無 里行きの目的も、この鬼無里の「お焼き」を食べることであった。残念なのは、前日のご馳走のため、鬼無里に行ってもあまり食欲がわかなかったこと。鬼無里 に向かった理由は「そば」と「おやき」だったのに・・・・人生とはそのようなものだ。しかし、満腹であるというのは幸せな旅であることは間違いない。
 そしてこの日に食うためにその前日買った笹寿司は、満腹のまま2日後の志賀高原まで運ばれ、その余りものが昼食時の弁当を買い忘れた志賀高原で「うまいうまい」と感謝の笹寿司となった。

 湯田中では、別の友人が万年幹事をやってくれ、宿を吟味してくれている。いつも快適に泊まれるのも彼のお陰である。最近では、木造名建築の宿の泊まって いるが、今回は、登録文化財の木造ではあるが一般室に泊まることになっていた。通された部屋は一般室の割には造作のいい部屋・・・と思ったが、その宿の 「真」「行」「草」と形式の違う代表的特別室の「行」と「草」の部屋であったのに気づいたのは、後になってからである。ならば、ゆっくりと隅々まで鑑賞す ればよかったと悔やまれたが遅い。そんな迂闊さもまた、いい思い出である。
 また、このような宿では、味わい深い書画がある。それを話題に議論伯仲する。バカさ加減を出してもこの仲間ならちっとも恥ずかしくないからだ。いや楽し い。あてずっぽうの解釈は、いつもだいたい的外れである。今回のも読むに読めたが句の省略してある部分、つまり背景がわからない。後で調べるとやはり有名 な故事の一句だった。

  松下問童子  松下(しょうか) 童子(どうじ)に問(と)えば
  言師採藥去  言(い)う 師(し)は薬(くすり)を採(と)りに去(さ)ると
  只在此山中  只(た)だ此(こ)の山中(さんちゅう)に在(あ)らん
  雲深不知處  雲(くも)深(ふか)くして処(ところ)を知(し)らず

 宿佳し、飯好し、風呂良し。天気はすっきりしない。されどもう一つの目的である志賀高原へのバスの便は少なく、去り難い気分を捨て宿を去った。湯田中駅までは数分の距離であったが、宿から駅まで送迎車で送ってくれた。

 志賀高原では、硯川〜四十八池〜大沼池〜蓮池とのんびりと歩く予定であったが、残雪が予想以上に多く、途中で断念。渋池〜木戸池〜田の原湿原〜長池〜蓮 池のコースで歩くことにした。最近の国土地理院の地図での登山道はあてにならないが、ここではそれを信用するしかない。怪しげな雲行きもよくなってきた。
 志賀高原は、まだ早春の風情、若々しい新緑に、早春の花々に出会うことができた。
 柔らかな淡い春の色彩、小さなかわいい花に包まれてのんびりと歩いていた最後にムラサキヤシオに出会った。ヤシオツツジでは、これまでシロヤシオ、アカ ヤシオに出会っている。どれもみな優しい色をしていたので、こんなにパンチの効いた強い色のヤシオもあったのかと驚いてしまった。
 長池近くからバスにのり新緑の志賀高原に別れを告げた。志賀高原での散策は、特別なこだわりの計画もなかったが、コースも雪のため急遽変えるというハプ ニングがあった。しかし、危惧された雨にも遭わず定刻に長野電鉄・湯田中駅に着くことが出来た。ここで一旦解散。オプション参加者は、それぞれの方法で松 川渓谷に向かった。

 松川渓谷温泉。「滝の湯」という1軒の宿があるだけの鄙びた湯だ。しかし、ここに泊まった複数の友人から楽しくなるということを聞いて泊まることにした。とにかく、前泊の湯田中とは対照的な宿なのだ。
 自然は一杯あるが、温泉情緒などは一切ない。受付に出てきたのが、唇にピアスをつけたちょっとイカレ風のおにいちゃん、しかも、部屋の作りも、床も畳でなく山小屋でよく使われているじゅうたんだった。
 若女将というのもそんな感じであったが、何かその印象と違っていた。現代的な美人でしっかりもの、宿の造りもあまりよくないが、若おかみの雰囲気だろうか、清潔でなんとなく丁寧だった。トイレは簡易水洗であったがウォッシュレットだった。
 そしてこだわりの飯が出てきた。地元のこだわりの食材、田舎料理だけど、ものすごく嬉しくなるような宿屋だった。
 だだっ広い殺風景な食堂に我々だけ。くつろぎと、はしゃぎたくなるような楽しさが満ちていた。

・てんぷら:今日取れたという、ウド、タラの芽、コシアブラ、ヤマブドウ、エビのイラクサ巻き
               ・・・・パリパリしてうまかった
・馬刺し・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちっとも臭くなかった
・木綿豆腐・・・・・・・・・・・・・・・・須坂のこだわりの店の固豆腐
・温泉卵・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここでは、なんとこれが60円で売られている
・ワラビのダイコンおろし和え・・・・・初めての味、うまい
・アスパラ・・・・・・・・・・・・・・・若おかみの実家の畑産
・漬物・・・・・・・・・・・・・・・・・・宿の自家製
・煮物・・・・・・・・・・・・・・・・・・色は悪いがいい味を出していた
・北信風の筍汁・・・・・・・・・・破竹とさば缶の味噌仕立て(写真にはないが大きな碗だった)
・ご飯・・・・・・・・・・・・・・・・・・地元、高山村産
 (みんな自家製か近隣の食材、春だから、取れたての山菜がでてきたのであった)

 風呂は最高。新緑の渓谷の中、あふれるばかりのかけ流しの温泉。
しかも、混浴!!・・・・。
もう少しで、ものすごくかわいいタイ人の女性と一緒になるはずだったが、
彼女はドア一つ向こうの浴室で入浴、混浴の露天風呂には出こずじまい。
タイは仏教徒の国、さすがにそれは適わぬ夢であった。

 風呂への道は自然が一杯。いろんな植物が見られた。
 宿の回りも自然が一杯、遅い山桜と新緑が溢れていた。宿を辞し、2つの滝を訪れた。

               雷 滝 (↑写真をクリックしてください↑) 八 滝

 それぞれに息を呑む美しさだ。特に裏見の雷滝は、その轟音とともに身が吸い込まれていく迫力があった。新緑の中を歩き、山田温泉に着き蕎麦を食って一旦解散した。
 山田温泉で別れたはずが、私の忘れ物のために長野駅で合流、長野駅の喫茶店で電車を遅らして笑い転げていた。良き仲間による楽しい旅であった。

 そして、贅を凝らした「松籟荘」の朝食、今でもこんな宿があるのかという「滝の湯」の朝食、

 好対照の二つの宿をも存分に味わった旅でもあった。付言するなら、温泉で点ててもらう茶は実にうまい。
 千利休、あまりにも自然が満ちあふれ自然に囲まれていたが故に、敢えてあるがままの自然を拒否し象徴的な自然を造り、その中で喫茶したという時代、彼は そんな時代に生きた人だった。しかし、今はもうそんな時代ではない。心が自然と隔絶されている現代、ゆったりとした気分、日本情緒なり、本物の自然に囲ま れながら、自然が持つ癒しの力を感じながら喫する茶こそが本物のうまさである。現代に利休が生きているなら、多分そうするに難くない。人と自然との絡み合 いこそが現代を生きる極意である。さすれば、茶菓子も友人の奥さんの手になる「蕗の砂糖漬け」ならば、それはまさにそのことの具現であり、贅沢の極みとい うべきものであろう。

 そのような理由からも、この旅は楽しい。友人に乾杯!! そしてその奥様方に乾杯!!


(更なる写真は次へ↓)




 の操作を知っている方は、
                    ここから始めてください。

←この写真をクリックするとMyPctureTownが起動します。


MyPctureTownの操作に不慣れな方は、次の説明を読んでください。
↓                       .

   1.写真選びながら、一枚ずつ写真を楽しむとき
   2.写真をスライドショーで見たいとき